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2017年 11月 19日

ネルソンス BSO 雑感。

■ 先日、ふらりと思い立ってアンドリス・ネルソンス指揮ボストン交響楽団の演奏会に行ってきたのですが。。。

■ 演奏は驚異的なまでに超絶美麗で、これが果たしてマーラー「巨人」の基本コンセプトに合致しているかというと、正直そうでもない気がしました。マーラーの「3番」の続編としてあるような天国的な「巨人」とでも言いましょうか。とにかく美音につぐ美音の洪水押し寄せる快感マックスのフィナーレ。ボストン交響楽団のベスト・フォームを聴いた気がしますね。そういえば、小澤征爾氏はボストン交響楽団をドイツ流の重心の低いどっしりとした音に変えようとしたらしいですが、140年の歴史を持つ楽団の長い伝統は変えられないんだなぁとか思ったり。

■ しかし、たった1時間、放射線のように浴びた強烈な幸福感のおかげで、次の日からの日常業務が本当に辛かったですよ。あの多幸感に比べて自分の日常のなんて惨めなことだろうか、と。もちろんこんな考え方は間違っている。ええ、知ってます。日常と非日常は分けられるべきだし、日常あっての非日常。しかし、どうしてあの幸福を毎日得られないのかと考えて、なんだか麻薬の禁断症状に苦しむ中毒患者のような苦しみがこの2週間続いてました。おまけに風邪も引いて本当に辛かった。

■ 毒を制すには毒を持ってせよ。もっと苦味があって、苦闘があって、それでいてエネルギーがあって、やる気が出るwような曲はないだろうか … ということで辿り着いたのがブラームスの「ピアノ協奏曲第1番。昔から大好きだったんですよね、この曲。交響曲とか聴きすぎて飽きてしまったんですが、ポリーニとかアシュケナージとかツィマーマンとかの名演が多々あって、いろいろ楽しく聴き比べています。そんなわけで、次回から、私が持っているこの曲の演奏を聴き比べていこうかなと思っています。

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# by thinkclassical | 2017-11-19 01:13
2017年 11月 01日

プラシド・ドミンゴ(1)。

■ そういえば、私がカラヤン/ベルリン・フィルの実演を聴き逃したのは他でもない、同じ時期に行われたプラシド・ドミンゴのチケットの方を買ったからだ。中学生でお金が無かったからどちらか選ばざるを得なく、当時の私は迷うことなくドミンゴを選んだw。1988年6月15日大阪ザ・シンフォニーホール。なぜドミンゴかって?一家を挙げてのドミンゴ・ファンだったから。家には親父が買ってきたドミンゴのCDが大量にあった。親父は大月楽器に『ドミンゴのCD出たら置いといて』とか言っていたのだろう。なんかよくわからない海賊盤とかまで大量に家にあったのだ。それで中学生の私は家の中でも車の中でもずーっとずーっとドミンゴ漬けで過ごしていた。もちろん心の中では「ディ・ステファノとかデル・モナコの方が凄いんでない?」とか思いつつも(笑)。いやしかし、ドミンゴの録音のおかげでどれだけの名盤に出会えたことだろう。クライバーの『椿姫』『オテロ』、ジュリーニの『トロヴァトーレ』『リゴレット』『ドン・カルロ』、アバドの『カルメン』、シノーポリの『カヴァレリア』、この綺羅星のような人類遺産級の名盤たちに私を導いてくれたのはドミンゴであり親父だった。

■ で、生で接したドミンゴは・・・まさに「化け物」という言葉が相応しかった。絶頂期のスーパースターのフルパワーは、シンフォニーホール2階後列の私の耳を粉砕するがごとく轟然と鳴り渡ったのである。いや、本当に耳が潰れるかと思うほど凄まじい音量で、あんなに凄い声はあれから聴いたことがない。まあ 3800 人収容のメトロポリタン・オペラを征服した大歌手が 1700 人のめちゃめちゃ残響あるホールで歌うわけですからね。風呂桶で暴れる鯨のような感じでしたよ。

f0080947_00413678.jpg■ でも中学生的に毎日オペラはしんどかったので、ドミンゴの軽い CD もよく聴いていた。たまたま CD を整理していたら出てきたので、20 年ぶりくらいに聴き直してみた。まずは『カタリ/ドミンゴ 愛を歌う』(1975, DG)。ドミンゴ 34 歳。超絶好調。絶好調すぎて音量が「小・大・特大」しかない。しかも小から大まで 0.8 秒くらいで行くわけで(ポルシェでも時速100km行くのに10秒かかるらしいが)「俺はこんなにいい声してるんだ!気持ちいいぜ!」ってのが前面に出過ぎで、そこが若いってことかな。歌の微妙なニュアンスとか言葉の意味とかほとんど考えてない。単に盛大に歌いまくるドミンゴ。伴奏がまたプレヴィン時代の熱いロンドン交響楽団(ちょうどスター・ウォーズ録音と同じ時期だw)で、こちらもドミンゴに張り合って絶好調。私の生のドミンゴの印象に実はかなり近い。この歳になって冷静にドミンゴを聴いてみると、ドミンゴの声って(バリトン出身だからか)少し暗いっていうか曇っていて、何かスカーンと突き抜けない。

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■ その突き抜けなさが絶妙な風味となっているのが「サルスエラのロマンス集」(1987, EMI)。これも、もう何度聴いたか分からないほど聴いていたのを今聴き直してみると ……、これはスペインの演歌ですね。あまりにもローカル色が強すぎて、歌詞を見ながら聴いてもほとんど何も共感できないのが逆に面白い。ただ、メロディは完全に覚えていてものすごく懐かしい。しかし、「これは自分のための音楽であり歌である」という気持ちが全く起きない。それは実はこの CD を聴いていた当時からそう思っていて、大人になれば理解できるかと思っていたけれど、全く分からないw。メロディとリズムはすこぶる魅力的なのだけど ……(そしてライナーノートと歌詞対訳はもちろん濱田滋郎さんだ!)。こんなに懐かしい音楽なのにこんなに自分から遠い音楽もない。不思議。

■ 私が聴いたこのドミンゴの演奏会はちょっとした伝説として語り継がれているらしい。関西のオケの方とお話させて頂いた時、最初に自分のお金で買ったコンサートは何かという話題になり、私が「シンフォニホールでのドミンゴの演奏会でした」と言ったら、その方はなんと「あ、あの時、私はドミンゴの後ろで弾いてました … 」と仰ったのだった。絶句。

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# by thinkclassical | 2017-11-01 02:22
2017年 10月 29日

カラヤン/BPO の「白鳥の湖」。

f0080947_20353971.jpg■ 私が次にカラヤン箱から取り出したのはチャイコフスキー「バレエ組曲『白鳥の湖』『眠れる森の美女』」ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1971, DG)。なんだこれは …。演奏が凄すぎて意味が分からない。そして、↓の文章はもっと意味が分からない。亡き宇野功芳氏の『名演奏のクラシック』で引用されている玉木正之氏の言。

 「何よりも、彼の引き出したサウンドが、心に残らないのが不満だった。軽快なテンポと、豪快な迫力と、麗々しまでの美しさとが、不思議なまでに共存し、一点の翳りもミスもない爽快感を与えてくれるアンサンブルの裏から、このくらい簡単なものよ、という声が聞こえてくるように感じた」。

■ ど・こ・が? この「白鳥」のどこを聴いたらこんな言葉が出てくるんだろう?私がこの「白鳥」から聴くのはこの言葉と全てが逆だ。カラヤンとベルリン・フィルという世界最高の芸術家たちが死力を尽くして芸術の無限の高みへと駆け上がろうとする鋼鉄の意志、それだけだ。それがジークフリート王子とオデットの結ばれない悲劇的な激情とシンクロしてしまったこの演奏の凄さたるや、これ以上に強烈な演奏と録音と音楽があるのか。いや、あるに違いないし、無数にあるのは分かっているが、しかし … 。カラヤン/BPO にしてみれば朝飯前どころか寝てても弾けるにちがいない(だってバレエの伴奏なのだ)この「白鳥」をここまで駆り立てる動機はいったい何だったのだろう?この時カラヤンは63歳なのだ!ウソだろ!(日本だと定年だ)。

■ そういえば、私はベルリン・フィルほど全身全霊で演奏するオケを知らない。カラヤン自身は「演奏家が冷静なのに、観客が熱狂してこそ一流」と言ったというが、私が最初にベルリン・フィルを聴いて衝撃だったのは、演奏する団員が大きく体をうねらせながら、ものすごく感情を入れて演奏するその姿勢だった。世界最強が義務付けられたオケの凄さに叩きのめされた(指揮はアバドだった)。そういうベルリン・フィルの DNA をこの演奏から感じる。「簡単なものよ」などという弛緩や油断は全くない。

■ それにしても、このオケの個々の楽器の凄絶な美しさはどうだろう。「情景」冒頭、圧巻のハープとオーボエ。そこから飛び込んでくる弦の完璧さ。「ワルツ」の爛れるような美しさと剛毅さと絢爛さ。絡みつき彩りを添える木管群の見事さ。シュヴァルベのソロ。この録音に演奏者たちのクレジットがあったらどんなに良かっただろう。ラストの「フィナーレ」の全軍挙げての咆哮は音楽世界の極限であるかのようだ。

■ この「白鳥」の後に続くのは、夢と恍惚が結晶化したような「眠れる森の美女」。カラヤンの演奏が表面的とか精神性が無いとかよく言ったものだが、そんなことはどうでもいい。私にとって大事なことは、この演奏を聴いている間、私が生きている現実世界で起こる悲しく腹立たしい数々のことを「そんなことはこの演奏の高みに比べれば無に等しいではないか」と思わせてくれることであり、そして、この虚しい現実世界で戦っていく勇気をまたもらえることなのだ。

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# by thinkclassical | 2017-10-29 22:28 | HvK
2017年 10月 27日

カラヤンの「ハンガリー/スラヴ舞曲集」。

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■ ここ10年くらい、通勤の時くらいしか音楽に触れることができなくなった関係で、音量幅の大きいクラシック音楽を聴く機会が減ってしまい、テクノとかロックとかジャズとかポップスとか映画音楽とかばっかり聴いていました。コンサートもちょこちょことは行ってましたが、昔ほどではなく、なんか毎月歌舞伎とか見に行ってました(歌舞伎ってオペラに負けず劣らずぶっ飛んでるんですねw)。

■ そんな私がクラシックの世界にやとこさ戻ってこれたきっかけは例のカラヤン箱のおかげ。何か軽く聴いてみるかな、と取り出した紙ジャケはブラームス「ハンガリー舞曲集」ドヴォルザーク「スラブ舞曲集」ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1959, DG)。どうしてこれまで「いいからお前はとにかく黙ってこれを聴け」って誰も言ってくれなかったんだろう。ハンガリーとかスラヴとか舞曲とか、そういう枕詞は一切いらない。これは魂のハードロック以外の何物でもない。人類が到達した最強の音の豪華さ、華麗さ、美麗さがここにある。カラヤンの華麗さを「表面的」と言って切り捨てる人は、例えば「華麗さ」と「孤独」がアマルガムとなった時、どれだけ底知れぬ悲劇の予感が描写されるか感じ取れないだけなのではないだろうか ... 例えばこの CD の「スラブ舞曲第10番」のように。ここでは、あの手垢にまみれた「ハンガリー舞曲第1番」は、暗い運命の中でもがき苦しむ激情にしか聞こえない。そして、カラヤンは細かな楽器の表情にどれほど気を配っていることだろう。もう自らの不明を恥じるしか無い ...。

■ と反省しつつ、カラヤンの演奏を聴き始めたわけです。それでだんだん分かってきたのは、カラヤンの演奏には確かに「表面的かつ機械的」と取れなくもない演奏があるということ。ところが、それと拮抗するような形で極めて「人間的」なパトスに裏付けされた演奏も数多くあるということですね。前者だけを恣意的に取り上げて切って捨てるのははっきり愚かだと私は思います。そしてカラヤンが到達した「華麗さ」が持つ凄みや本質を理解するのもまた難しいのだ、と。








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# by thinkclassical | 2017-10-27 00:24 | HvK
2017年 10月 25日

アイスランドの風景。

■ で、せっかくアイスランドに来たことだし、ちょっと観光でもしましょうかと、最初にふらーっと連れてこられたのが、ここ↓。

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■ いきなりの超ワイド3Dフルスクリーン RPG 的光景に絶句。凄まじすぎて声を失う。こんな風景が存在すること自体が想像外。グトルフォスの滝っていうらしい。アイスランドの風景のとんでもないところは、普通に道を車で走っていてぶっとんだ景色が突如出てくるところ↓。もう完全に RPG。


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■ あと、火山の国なので、砂が黒い。黒い海岸はやばい。おかしい。


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■ そして念願の映画『インターステラー』ロケ地。スヴィーナフェルスヨークトル氷河。もう笑うしかw。


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■ アイスランドの狂った風景を見て思ったのは、自分のこれまでの風景観がいかに小説や音楽(特にクラシック)と結びついているか、ということです。それはつまり自然を人間の想像(創造)範囲内に飼いならしていることでもあるわけで、神々の創造物であるところの自然の方がはるかに苛烈だった、と。スイスやフランスのアルプスは好きでよく行って、確かに凄いのですが、ここまで「狂った」光景はないですね。芸術は人間の狂気を抉り出すところにその真価があるのですが、自然に狂気を感じることがあろうとは。というアイスランド旅行だったのでした ... 。




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# by thinkclassical | 2017-10-25 02:17
2017年 10月 24日

アイスランド交響楽団 at Harpa。

■ ちょっと1年前にふらっとアイスランドに行ってきました。目的は2つあって、アイスランド交響楽団を現地で聴くことと、映画『インターステラー』のロケ地への聖地巡礼。アイスランド交響楽団は日本公演ポシャってしまったのが悔しく、どうしてもどうしても聴いてみたくて。だんだん時間が経って記憶が薄れてきたので、備忘録的に。

  シベリウス「テンペスト」
  ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第1番」(アレクサンドル・ロマノフスキー」
  ベートーヴェン「交響曲第1番」

   ディーマ・スロボジェニュク指揮/アイスランド交響楽団
    (2016年3月11日 at Harpa)

■ 指揮者のスロボジェニュクは現在なんとあのラハティ交響楽団の首席指揮者をしている人ですね。アイスランド交響楽団は期待していた以上に精緻で、技術的にも真摯かつ丁寧で、「真面目」なオケだという印象でした。でも、「真面目」といってもドイツ的な重厚さではなく、かといってメカニカルすぎず、人間的な温かみがありつつ、黒いヴェールから色艶が見えるような、そういう不思議な魅力のある音です。似た響きのするオケがどうしても思いつかない … わけで、行って本当に良かったです。

■ シベリウスは、演奏そのものは見事でしたが、その彼らの真摯さがシベリウスの神秘さをマスクするきらいもあり。絶品だったのはラフマニノフのピアノ協奏曲第1番。オケの技量とピアノの技量がガチっとはまって美しく豊かな音響に結実し、そこから熱いドラマが吹き上がるというかなり理想的な展開に。圧巻!ベートーヴェンは爽快な快演といった趣。

■ 2011 年に完成した Harpa はこんな↓内装で、塗り固められた真紅にドキッとするも、中に入ってみると意外とシックで違和感がないどころか、落ち着きさえ感じるのが驚きでした。音響は日本のあちこちにあるホールにわりと近いかも。まあ私はいつものサイドの席でゴージャスな音を満喫したのですが。

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■ アイスランドは少し観光もしたのですが、自分の「世界」観がガラッと変わるほど衝撃的だった話はまた次回に。

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# by thinkclassical | 2017-10-24 23:17